地方から見た政治のあり方

無関心でも無関係でいられない政治のあり方。誰かが言っている事よりもまずは自分からどう見えるかが大事です。

介護保険優先原則について

問題提起

 介護保険優先原則により、障がい者が65歳以上になると、障害福祉サービスに相当する介護保険サービスがあるが場合、基本的には、介護保険サービスの利用が優先されます。

 

障害者の今

 相模原の津久井やまゆり園での事件を検証する中で、何度も取り上げられたナチスの優生思想とT4計画は、いわば究極の人権侵害です。そこまで行かなくても、多くの差別や虐待にさらされてきたのが、近代史における障がい者の実態でした。

 その背景にあるのは、現代の経済効率性を重視する競争社会において、経済的生産力に寄与する人材が重視され、そうでない者は低く見られ時に排除される「社会的価値意識」でしょう。

 

 1960年代後半に提唱されたノーマライゼーションの理念は、障がい者にノーマルと言われる能力を身につけさすのではなく、障がい者が置かれている環境をノーマルにすること。この理念には、障がい者に対する「あるべき姿」のパラダイムシフトが描かれていました。その事を受け、70年代には大きな運動になり、1981年の国際障害者年に繋がっていきます。そこでは障がい者の権利を、単に理念にとどめるのではなく、社会に実現しようと決議されました。

 

 今から35年前のこの運動の最先端で、その当時、20代、30代であったその人たちが、今まさに65歳になって来ています。

 地域での生活を求めて、本人も支援者も必死になって街の中に居場所を切り開いてきました。それは個々の努力でもあり、障害者運動全体の努力でもあります。そして一歩ずつ確かな足跡を刻んだ歴史の具現が目の前にある訳です。

 それを65歳になったら介護保険制度が優先ですからと、簡単に切り捨ているような行政対応であってはいけないと思う訳です。

 

 

介護保険制度は使わず眺めるだけの方が良い!?

 介護保険制度が、早くあのサービスを利用したい、などと待ちわびるようなものであるのなら、わざわざ介護保険優先などと言わなくても、みんな喜んで65歳を待ちわびて介護保険に移行するでしょう。

 しかし現実は違います。介護保険はその負担の増加やサービスの切り捨てが常に問題視されています。利用者は”困っても利用できない”、利用したら”お金がかかると疎まれる”。運営する市町村からすると、なんとか健康寿命を延ばして、制度を利用しなくて済む人を増やのが、これからの制度の維持の方法と言う矛盾だらけの制度です。わざわざその利用者を増やすようなことをする必要はないと思います。

 

住民の介護保険料負担を減らす事にも

 それよりも、障害支援サービスを使ってもらえば、4分の3は国、県の負担であります。わざわざ半分が(住民の)介護保険料の負担である制度を使わなくてもいい。むしろ県や国を説得し、障害福祉サービスの利用を継続した方が、住民の負担軽減に繋がります。

 

 

権利を守り、街を支える

 障がい者が自らの人生を通して、その地域での風景のひとつとなるまでとけ込んだ暮らしが、ノーマライゼーションの実現そのものでした。それは年齢によって突然終わるものではありません。もしそうなら、年齢で区切られた期限付きの権利を与えられたにすぎない事になってしまいます。

 

 彼らとその支援者たちが切り開いた暮らしの継続は、住民にとっても財産になります。介護保険の負担を減らす事、街の風景になっている事、その他にも思いがけないところで働いていたり、支援者の雇用を生んでいたり、住民同士を繋ぐきっかけになっていたり、暮らしやすい街であるなら当事者家族の移住のきっかけにもなる。人が増え、雇用が生まれ、出会いや交流があり、もちろん消費も増え、賑わいも増す。町が支えていた福祉が、いつしか町を支える福祉になっていく。

 

 

 実際のところ、こうすれば正解と言うものがある訳ではありません。年齢に基づく衰えが顕著であれば、地域から再び介護施設のお世話になる方が良いでしょう。それぞれの人にとってのベストの選択が出来ている事、それが前提である必要はあると言えます。本当に市町村行政が取り組まなければならないことは、国の下請けになることではなく、住民の権利の代弁者になることです。このことを地方行政が先頭に立って進めていかねばなりません。

 

 

(付記:矛盾の大きかった介護保険移行後に1割負担が発生する事、介護認定が低く出て必要なサービス量が確保できない事などは、通知などを通して概ね解消されている事から、それ以外の部分を提起させてもらいました)

 

厚生労働省07通知

     15通知