地方から見た政治のあり方

無関心でも無関係でいられない政治のあり方。誰かが言っている事よりもまずは自分からどう見えるかが大事です。

選挙フェスを見て感じたこと

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選挙の3ヶ月前から始めた

 フクシマから2年、答えどころかごまかしとしか思えないような言葉があふれる中で、正しく恐れ確かな希望をつかみたいと思っていたあの時、一人の若者として自分の言葉を伝えたいと参議院選挙に立候補した三宅洋平。あのとき、ネット中継で彼を見た。一人の人としての正直な言葉にただただ共感した。まず自分のすべてをありのままにさらけ出していた。それは原発をなくしたい、争いをなくしたい、そういった思いを繋いで行くコミュニケーションによって作り出されていた。それはミュージシャン、アーティストであった彼の経験に裏打ちされた表現であったかも知れない。でもそれは狙って出来たものじゃないだろう。3ヶ月前に決意して、そこから資金集めをして人に協力を願って、急速に”政治”について勉強してたどり着いたありのままの姿だったろう。

 

ちゃらんけ

 とことん話し合おうと言う姿勢。あきらかに自分と違う主張をしている候補者とも話し合おうとする。それは本当に人間性の主張だった。

 

疑うことは簡単だ。信じることは難しい。

 コミュニケーションをとろうとせず、自分と違うから否定する立場はそこから何の努力も必要としない。一歩踏み出して繋がろうとした時、解り合えるとこまでの努力もそこから先お互いの信頼関係を続けて行くことも大変なことで・・・、でも中国や韓国などの外国の人と友達になったらその国に銃を向ける自分の国をどう思う?やめろ、やめてくれって思う。

 権力者は大衆を誘導する時に不安を利用する。分断を巧みに行なって孤立化させて行く。僕らはそれに対して繋がることで対抗して行く。

 

僕たちの言葉が政治に届かない?

 三宅氏は他の当選した自民党議員より多い17万票の個人票を獲得していたにもかかわらず、得票の多い政党の候補者が当選する比例代表のしくみでは落選した。こういった少数の声が国会に届かないと言うのは民主主義の制度として日本の選挙制度はその機能をちゃんと果たしているのかと疑問に思えてくる。1票の格差を理由に定数を削減する選挙制度改革にも疑問を感じざるを得ない。